塾長日記

子どもたちの未来

平日の朝は、近くの小学校に通う子供たちの列が自宅の前を通過していきます。

数年前は、まだ列が続くかと思うくらい大勢の子どもたちがぞろぞろと歩いていきました。しかし今は、登校班のかたまりがはっきりわかるほど子供たちの数が減りました。

この傾向は今後も続くのでしょう。人がどんどん減っていくこの国で、歩いていく子どもたちの未来はどうなるのでしょうか。

私たち大人はやがてこの世を去らなければなりません。残った子供たちの未来をできるだけ良いものにするためには、私たちが教育という形で子供たちに生きる力を残していくことが今できる最良のことではないでしょうか。

お金やモノを残しても、それを活かして生きていける力を教育をとおして何とか残していきたいと思います。

速読!?

速読教室のネット広告をときどき見かけます。速読の話は昔からよく聞きますし、私自身も何通りかの教材やソフトウェアを買って使ってみたことがあります。

確かに、訓練によってある程度は誰でも速読ができるようになり、集中力もつくようです。眼の動かし方や視野の広げ方などをあれこれトレーニングし、読んだ内容をどれぐらい記憶できているか、などを試すのがどの速読教室でも共通です。

さてしかし、速読は何のために必要なのでしょうか。読まずに積んである蔵書を読んで片づけるため? 明日の試験勉強が間に合わないから、教科書を速読で頭に入れるため? テレビに出たいから?

そもそも人は何のために本を読むのでしょうか。知識を得たり、大好きな作家の小説を読んだり、自分の視野を広げ、自分を成長させるためじゃないかなと私は思います。

自分の読書の世界に速読の技術を持ち込んだ場合、速読が役に立つ分野はとても限定されると思います。例えば、楽しむために読む小説を速読することは、人生の楽しみ方を知らないバカのすることじゃないでしょうか。

それなら、速読は勉強の役には立つのじゃないか。その通りです。しかし、勉強の分野でも、役に立つ場合とそうでない場合に分かれます。教科書を丸ごと1冊速読して全部暗記したとしても、一部の科目を除いてあまり役には立ちません。勉強は、その過程の途中で様々なトレーニングを必要とします。例題をすべて暗記したところで、数学の問題が解けるわけではないんです。

こんなことを書きながら、実は私の教室でも近々速読を教えようかと考えています。その目的は、本を読まない小学生や中学生に、本を読むことの面白さを伝えることにあります。また、速読のトレーニングを通して、学習時の集中力を養成することも目的の一つです。そういう目的に合った内容と技術を教えてくれる先生と出会いましたので、興味のある生徒さんや保護者の方はお楽しみに。

寺子屋の教育

時代劇を見ていると寺子屋で子供たちが教師の口調に合わせて、論語の文章を読み上げる風景が出てきます。文字の読み書きを覚える学習の一部なのでしょうが、同じ文章を何度も何度も読んで繰り返す学習は、かなりの効果を上げていたと思います。

寺子屋への就学率はかなり高く、日本人の識字率(文字を読み書きできる人間の割合)を世界でも欧米に引けをとらない高いレベルに維持してきました。明治維新のとき、日本が欧米国家の植民地にならなかったのは、日本人の教育程度の高さがあったからかもしれません。

しかし、現代の日本人の教育レベルに目を向けると、そこにはある問題が見えてきます。例えば、2020年の世界の大学ランキングを見ると、東京大学は36位、京都大学は65位でランクは毎年下がる傾向にあります。論文の引用数などが評価基準に入っているため、英語に強い欧米や中国などの大学の方がランクが上になる傾向はあります。

時代劇の頃と比較すると、現代の子供たちが学ばなければならない情報量はとてつもなく増えています。英数国理社の5教科の教科書や参考書を小中高で使うものをすべて積み重ねるとかなりの量になります。これをできるだけ頭に詰め込もうとするのが現代の教育です。

最近の教育改革で、ただ覚えるだけではダメだ、覚えたことを応用し使いこなせる教育をしなければ、という議論が活発になり、センター試験が記述中心の共通テストに変身することになりました。グローバル化の視点から、英語教育も盛んになりつつあります。

さて、これで日本の大学のランクが上がっていくのでしょうか。私はそうはならないと思います。他国の大学に比べて、現在の日本の教育には大きく欠けているものがあるからです。

日本人というアイデンティティを維持し、発展させるための日本人の精神、魂、心と言うような目に見えない抽象的なものが欠けているのです。これらについて学ぶ場が非常に少なく、学ぶ人も限定されています。

現在発展している他の国々には形はさまざまですがこれがあります。キリスト教国ではキリスト教が、イスラム国家ではイスラム教が、中華人民共和国では共産主義が、有形無形の精神的支柱を形成しています。

日本にもかつてありました。寺子屋では、論語、四書五経など中国から輸入した古典を基礎に日本独自の道徳観が形成されました。日本は、世界から流れ込んでくるありとあらゆる思想、宗教、哲学を取り込み、日本独自の精神世界を作り上げてきたのだと思います。

しかし、この日本の精神的な柱は太平洋戦争への参戦と敗戦を通して完璧に近いほど崩壊し失われました。日本を占領した米国は積極的に日本の精神性を消し去る方向に意識的無意識的に行動した形跡があります。

つまり、現代の日本には、学問をするための精神的支柱がほぼないのと一緒なのです。日本が世界と対等に向き合い、世界を相手にしていくためには、失われた精神的支柱を再度作り上げなくてはなりません。今回のコロナ騒動はそのいいきっかけになるかもしれません。

 

分数計算ができない大学生が増えている?!

インターネットでニュースサイトを見ていたら、分数計算ができない大学生が増えているという記事を読みました。

塾で普段いろいろな子供たちを見ていると、あ、この記事は本当だなと思えるのです。実際、小学生の子供たちの何人かは、分数計算で苦労するだろうなと思わせる子がいるからです。

分数計算は、それまで習ってきた整数や小数とは一味違っています。計算するためには、通分や約分などの方法、足し算引き算と掛け算割り算の計算の仕方の違いなど、多くのルールを学ばなければなりません。

小学生のときに、分数計算をいい加減に覚えてしまうと、中学校に入ってからその知識はさらにいい加減になり、高校に入って複雑な計算を始まると、まったく歯が立たなくなります。

その結果、高校ではややこしい計算をしなくて済む文科系に進もうという学生が増え、学生数が不足している大学では、数学の試験なしで学生を入学させてしまう。そして、分数計算ができない大学生が誕生し、そのまま社会に出て行ってしまう。まさに日本の教育の危機です。

分数計算ができないということは、単に計算ができないだけでなく、おそらく他の科目についても複雑なルールが伴う学習内容をクリアできていない、クリアする胆力がないということを示していると思うのです。

単純な考え方しかできない人間がどんどん増えていく日本の明日はどうなるのでしょうか。

凡事徹底

凡事徹底(ぼんじてってい)とは、誰でもできることを、誰もできないくらい続けることです。これはなかなか難しい。

私の塾の玄関には盛り塩があります。これは、ある方が「ここに塩を盛って置いておきなさい。嫌なお客さんが来ないようにすることができますよ。」と言ってくださったので毎日新しい塩を盛って置くようにしてます。

ただこれだけのことなんですが、塾を開いてから毎日塩を盛るのも結構大変です。新しい塩と交換するのが、時には夕方になってしまうこともあります。

でもこれを私の凡事として毎日続けるようにしてから、私には1つのリズムができました。新しい1日を塩を盛って始めるという習慣は、時としてマンネリになる塾の運営を私の人生のひとコマとして大事に扱う気持ちができていくように思います。

勉強という名の凡事を続ける生徒の皆さんも、ぜひ自分の凡事を見つけて、誰にも続けられないくらい続けてみてください。きっと良い結果に出会うことができますよ。

お子さんのことが見えていますか?

こんにちは。塾長の八尋です。

昨日、中学3年の生徒のお母さんと話をしました。中学入って以来、成績が最低ラインを続けてきたお子さんで、日常の動作も他のお子さんと比べると、もどかしいぐらいにゆっくりです。

当然のことながら、お母さんは毎朝毎晩強い口調で、「早くしなさい」「なんで勉強しないの」と叱咤激励を続けてこられました。でも成績はなかなか伸びません。それにはこの生徒特有の理由があるのですが、そのお話はまたの機会にします。

私がお話ししていて、とても感心し、「あ、これだ」と思ったことがありました。

「A(生徒の名前)は、勉強は全然ダメなんですけど、最近、この子すごいなと思うようになったんですよ。たとえば、私と言い争いになって、けんかしていても、食事のときは私に「いただきます」「ごちそうさま」とちゃんと言ってくれたり、「僕は弟が生まれてくれて本当にうれしいよ」と真顔で照れずに話してくれたりするんです。」

私も以前から勉強をどういうふうに教えていったらいいんだろうと思い悩むことが多い生徒です。でもその笑顔はとても素敵で、私がたまに強い口調で指導したりするときは、しばらくは真面目な顔になるのですが、次に接するときには笑顔で話してくれます。その素直さにはかなわないなと思う一面を持つお子さんです。

以前は、このお母さんは、「この子、このままだとどうなっちゃうんだろう」と焦るお気持ちを何度も訴えてこられました。しかし、「勉強はあまり向いてないかもしれないけど、この子のこの良さを活かしていく方法はないのかなと考えるようになりました。」とお子さんの見え方が大きく変わってこられたそうです。このことは、Aくんの勉強面にもきっと良い影響を及ぼすだろうと私は考えて楽しみにしています。

お子さんは、親が「この子はこういう子だから」と見てしまえば、そのような姿になっていくのだと思います。お子さんの本来の姿を見ようと努力すれば、そこにはあなたが思ってもみなかった、お子さんの姿が見えてくるかもしれません。

「ああ、この子のこういう所はかわいいな。」「うちの子には、こんな良い一面もあるんだな」と少しでも思われたら、そこの部分を意識して見つめるようにしてあげたらいかがでしょうか。

「勉強しなさい」は逆効果?

ゲームに一生懸命、テレビから離れない、YouTubeの動画に夢中、そんなお子さんにきつい声で、「〇〇ばかりしてないで少しは勉強しなさい!」とか、「勉強しないとまた成績さがっちゃうよ」とか言ってませんか?
そんなとき、お子さんは言うことを聞きますか?
やっと机の前に座ってもなかなか勉強を始めない、様子を見に行ったら寝っ転がって漫画を読んでいる、そんなことがありませんか?

実は、私達大人も子供たちと同じ経験をしています。子供の頃、親に同じように叱られたことがあったり、大人になってからは仕事場の上司から「何をいつまでやっているんだ!さっさとやれ!」と叱責されたりしたことがありますよね。人は、自分以外の人間から上から目線で指示され支配されそうになると、反発心が起きて不機嫌になります。これは、大人も子供も一緒です。

不機嫌な状態になっている人は、やる気を失い、その人本来の能力をフルに発揮することができません。高圧的な上司のいる仕事場で、ミスが連発し、職場全体としては仕事の効率が下がってしまうことはよくあります。

「勉強しなさい」の一言で、あなたはお子さんのやる気を削り取り、支配しようとしています。

ではどうしたらよいのでしょうか。言いたい気持ちを我慢してじっと見守ることが何より大事な親の課題です。勉強することは子供の課題であって、親の課題ではないからです。勉強の結果は、子供に引き受けさせなければなりません。そのように親がふるまえば、子供は自然に自立していき、勉強をどうすればよいか、自分で考え始めるのです。

夏休みが終わり2学期が始まる君へ

夏休みの終わりは本当にゆううつだ。まだ宿題が終わってない人もいるだろう。

学校に行きたくないよね。

たくさん遊んだ、ゲームとことんやった、家族ででかけた、受験勉強に集中した、部活がんばった、などなど過ごし方はいろいろだけど、自由に使える時間がたくさんあった夏休みはもう終わりだ。

不快にも、不機嫌にもなるよね。
そんな気持ちを消してしまえるおまじないを教えてあげよう。

自分に向っていつもつぶやいてごらん。

「一生懸命を楽しもう」「ありがたい、ありがたい」

学校に向かって、一生懸命歩く自分、自転車を一生懸命こぐ自分、学校の授業がわかんなくても一生懸命聞く自分、部活を一生懸命やる自分、勉強する自分、こういうことができる自分に「ありがたい、ありがたい」と思いながら進んでいけば楽に学校に行けるよ。